東浦ふるさとガイド協会の

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6月15日(木) 子供たちに入海神社の説明

 午前10時から11時の間入海神社において、緒川小2年生88名にお話をしました。大勢の子供たちにお話をするのはなかなか難しいものです。先生たちの力も借りて、子供たちを座らせて説明したり、優しい言葉や写真を使うなどしました。質問も多くありました、特に狛犬の台座に刻まれた「静波」「海相」はどんな意味なのか聞く子もいるなど、なかなかの観察力です。今回は氏子総代の方からの要請でお話ししましたが、子供たちに地域のことを学んでもらうことは、とても意味のあることです。ふるさとガイドは今後も協力したいと考えています。

6月6日(火) ふるさと講座の開講

 恒例になった「東浦ふるさと講座」が始まりました。ふるさと東浦の歴史・文化について、いろいろな面から勉強します。4回のうち2回は現地研修を組み込み、実際にその場に立つことで、当時を忍びます。且つ、その歴史をさらに次の世代へ伝えていきたいものです。

5月27日(土) 41名が参加した「ふるさと散歩森岡」

 これまでにない爽やかな風が吹く素晴らしいお天気になりました。41名が参加して、織田信長の戦いの跡を巡りました。信長が本陣を置いた村木神社では、日本一の規模と言われる三山信仰の碑も説明しました。

戦勝祝いをした飯喰場、村人が処刑された処刑場跡を巡り、村木砦跡では手作り鎧の会のみなさんがホラ貝を吹き、鎧姿で迎えてくれました。戦いの全容が分かって、みなさんの理解も深まったと思われます。

5月16日(火)  松平郷の歴史散策

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初めての寺部城見学
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      大給城跡の物見岩からの展望

 

4月15日~19日  於大まつり&桜ガイド

 15日の於大まつりでは、乾坤院山門と三代の墓でガイドを行いました。そしてテントでは、ガイド協会発行の冊子や教育委員会発行の書籍販売を行いました。今年のまつりは新城・設楽原鉄砲隊の演舞が行われ、みさんの注目を浴びました。しかし、残念なことに八重桜はまだ一部しか咲いておらず、まつりの気分盛り上げには今ひとつでした...。 

 それでも16日には桜の花もあちこちで咲き始め、川沿いの散策を楽しめるようになりました。18日には満開かと思えるほどに咲きそろいました。そして、20日は満開の状態になりました。花の下をそぞろ歩くもよし、高台の桜見台から全体の桜を眺めるのも最高です。

4月12日(水) 41名参加のふるさと散歩緒川南

 満開の八重桜を楽しみにしていましたが、一部「白妙」だけが咲いていたものの、普賢象・関山・ウコンは蕾が硬かったです。花の時期に合わせて計画するのは難しいですね。それでも41名の方が参加してくれました。とは言え乾坤院の案内では、山門の前で遠くに四代の墓を見ながら説明することしかできませんでした。とても残念な気持ちです、早い再建を祈るばかりです。しかし、思いもよらずソメイヨシノはまだまだきれいに咲いており、このはな館前の桜のトンネルはまだ見応えがありました。

 乾坤院、・緒川城跡を案内し、町外からの参加者からは「東浦にはすばらしい歴史があることを知りました」と話してくれたことが、心の支えになりました。

2月18日(土) 88名が「村木砦観音会」に参加

 今回のふるさと散歩は緒川~森岡の弘法道を歩き、「村木砦観音会」の法要に参加しました。参加者は70名にもなり、ガイド18名と合わせ88名が参加しました。左の写真は処刑場跡で法要のいきさつを説明しているところです。

 村木砦の戦いでは今川と織田・水野軍の兵士が戦死したのみならず、今川に協力した村人が信長の命令で処刑されました。好んで協力したわけでもなく、それが原因で村人同士がいがみ合う事になってしまったのです。それを憂えた水野一族の人が供養をしてきました。それが村木砦観音会です。

 この後一同は八剱神社へ移動しました、ここでは手作り鎧の会のみなさんがホラ貝を吹いて出迎えてくれました。戦がどのようなものであったのか説明し、神社にお参りしました。その後、手作り鎧の会の方より鉄砲の説明などを聞きました。これらの様子は知多メディアスと中日新聞さんが取材してくれました。

12月3日(土)  50名の参加 ふるさとと散歩緒川北

 5グループに分かれて国指定史跡の「入海貝塚」、5カ所のお寺さんを案内しました。

善導寺では塚本家のお墓がたくさん残されていることを説明。

東光寺では清水次郎長の子分、緒川勝五郎のお墓を説明。

越境寺ではキリシタン灯籠を案内。伝宗院では7番札所の案内をしました。この時、地元の100歳になるおばあちゃんがお参りにきており、一緒にお参りをしました。了願寺では永井家のお墓と、その血筋の有名人「永井荷風」や「高見順」がいることを説明。地元のお寺さんにこれだけの歴史があることに、みなさん驚いていました。

11月28日(月) セカンドカレッジの10名を案内

  東浦ボランティアセンター企画「ぶらり途中下車のたび  武豊線」のお手伝いで村木砦跡、半田駅・半田運河周辺を案内しました。定年退職後の過ごし方として、セカンドライフ「体と心」のわくわくライフを提案しています。

①緒川駅ホームから緒川の街の説明。水野貞守が築いた緒川城を元に発展した城下町でした。

 尾張森岡駅へ移動して、線路脇のあぜ道を歩いて村木砦跡をぐるりと回りました。当時の地形が今も道路として残っています。

②村木砦跡...1554年に水野信元は今川に砦を造られてしまい、織田信長に応援要請をしました。信長はこの戦で初めて鉄砲を使い、1日で勝利を治めます。これを契機に信長は織田家をまとめ、尾張の統一に成功します。したがって織田信長の天下布武はこの戦から始まったといえます。

   次に半田へ移動します。

③半田ではまず、JRの現役で最も古い跨線橋とレンガ造りの油保管庫を案内。そのあと半田運河の周辺を案内しました。仲埜銀行跡、黒い板塀のミツカンの工場はここの風景の一番の売りになっています。しかし、ここでゆっくりできるような仕掛けが無いのが残念です。せっかくの風景もゆっくり楽しめません。運河にそって歩き、仲埜半六邸を見学して半田駅に戻りました。

 

11月19日(土) 酒蔵見学と機屋跡を巡る

おだいちゃんも来た 

    生路のふるさと散歩

 

 24名の申し込みがありましたが、あいにくの空模様のためか参加は20名にとどまりました。ちょっぴり残念。

 しかし、観音寺では若い住職がみえて三十三観音のお参り後に奉納された絵馬について説明してくれました。

また、伊久路神社でも一部のグループは宮司の説明を受けることができ、とてもラッキーでした。

 原田酒造では今年も蔵開きの少し前に見学をさせていただきました。ここでの年間生産量は、一升瓶にして約30.000本くらい。お米は県内産が多いものの自然災害その他も考え、新潟やその他の県の米を使用しているそうです。小さな蔵元でも頑張ってくれているのが嬉しいです!!

 

11月14日(月)      秋の研修会は蒲郡の竹島

 28秋ふるさとガイド研修会                         

 国の天然記念物「竹島」と焼失した安楽寺の見学

 今回は日頃ふるさと散歩に参加してくれている、西尾の山田さんが観光ガイトドを務める蒲郡の竹島を見学する。この竹島は国指定の天然記念物となっており五つの神社が祀られている。帰り道には火災で本堂が焼失した安楽寺に立ち寄る。今回はこれまでの研修会で最も多い21名が参加した。

 

平安時代に蒲郡を開発した「藤原俊成」

 今回は21名の参加となり車5台に分乗して、藤江の老人憩いの家を9時にスタートした。国道23号を走って竹島に到着し、ここでガイドの山田さんと合流する。研修部のみなさんが竹島を月曜日に訪れることにした理由は、ガイドの山田さんが案内を担当するのが月曜日だからという。ベテラン観光ガイドの説明の仕方、話し方、お客との接し方などお手本にするのが目的の一つなのだ。

  初めに蒲郡の生い立ちについての話があって、竹島を目の前にした海辺の芝生広場に移動する。そこには烏帽子姿の一人の像が建っている。平成3年にふるさと創生事業の一つとして建立された「藤原俊成」である。彼は平安時代の代表的歌人で、小倉百人一首の選者して知られる藤原定家の父でもあります。いただいた資料によると「藤原俊成」と蒲郡の関係は次のようなもの…..

  俊成は今からおよそ900年前、平安時代後期の久安元年(1145)12月に三河国の国司(今でいう県知事)に任命され、3年5ヶ月の間務めました。鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」には、三河国の竹谷・蒲形庄(現在の蒲郡中心部)を開発したと記されています。俊成がこれら荘園を開発したという話は、江戸時代後期に著された「三河国名所図会」にも紹介されています。ここには「吾妻鏡」の記事を引用して「俊成卿屋敷跡」「恋の松原」「雀の森」などの項目が立てられているほか、「恋の松原」を描いた挿絵の傍らに、「大島や 小松がさきの ほとけ島 あわずか森に 恋の松原」と記されています。

  蒲郡駅南ロータリーの交差点、竹本油脂本社の一角には「涼みが杜」の碑が建てられています。「すずめのもり」「すずみがもり」いずれの響きからも、緑豊かな当時の光景が偲ばれます。また、「三河国名所図会」の「竹島弁天社」の項目には「昔俊成が江州(滋賀県)竹生島の竹を移植したから竹島という」とあります。竹島弁天社は、現在の八百富神社の前身で、養和元年(1181)の創建と伝えられています。境内には八百富神社の他に、宇賀神社・八大龍神社・大黒神社そして藤原俊成を祭神とする千歳神社が祀られています。

  

鳥居をくぐる橋でつながる竹島

   芝生の前に竹島が浮かび、穏やかな海が広がっている。遠くに船が見えているが、これは自動車運搬船だろうという。トヨタは名古屋港から積み出しているが、ここの港からは三菱の輸出車の半分が積み出されているそうだ。そんな説明を聞きながら387mの竹島橋を渡っていく、途中で振り向くと竹島クラシックホテルが美しい姿で横たわっているのが印象的である。このホテルはアールデコ様式の建物で昭和9年に日本初の国際観光ホテルとして開業した。春のツツジまつりは有名でフレンチ料理やお茶を楽しむ人でにぎわう。そして、珍しいのが橋を渡りきる少し手前の所で、竹島橋は八百富神社の大きな鳥居をくぐるのだ。橋が鳥居をくぐるのはおそらくここしかないのではないかな。ここで、ガイドの山田さんからアドバイス。それは鳥居の種類について簡単に話してあげると良い、ここの鳥居は「明神鳥居」で特徴は柱や笠木にそりが施されている。もう一つは「神明鳥居」でこちらはそれらが施されていないのが特徴なのだ。もう一つのアドバイスは「何は○○年」とすべて覚えるのは大変なので、何か基準になるものを覚えてそれから前後○○年と覚えるようにすると良いなど。

   鳥居をくぐりここから竹島に上陸する、この島全体が国の天然記念物に指定されているとは知らなかったので、意外な感じがした。竹島海岸は春には潮干狩りの名所として親しまれ、周囲約680mの花崗岩からなる楕円形の島には、65238種の暖地性植物が繁茂し、昭和5年に国の天然記念物に指定された。ガイドの山田さんが説明してくれた中で、1本の木に2種類の葉っぱがついている木、竹は生命力が強くあちこちでその繁茂ぶりに困っているが、3年するとすべて枯れてしまい広がらない竹などが印象に残っている。

  神社にお参りをして海岸に降りる道では、素晴らしい眺めのビューポイントもあり青い海と緑の松などの取り合わせは、まさに絶景かな絶景かな。また、海岸を歩くと色の違う岩が目につく。これは隆起した年代が違うのだという、なるほど説明を受ければ合点がいく。それに、所々に四角い小さな穴が連続して空いている岩が散見された。これは名古屋城の石垣として切出したときの名残だという。岩の一つ一つにも歴史が読み取れる、何事も漠然と見るのではなく好奇心をもって眺めなくてはいけない。そんなことを考えながら海を見ていると、遠い昔の出来事を思い出した。入社2年目だったと思うが、健保組合の保養所に泊まって水泳訓練に来たことだ。あのときの20名の仲間も今は16名になってしまった。

  

竹島に祀られている神社と祭神

   「三河雀」という書物の中で、竹生島・江ノ島などとともに日本七弁天として紹介されている「竹島弁天社」は、現在の八百富神社の前身で、養和元年(1181)に俊成が琵琶湖にある竹生島より勧請したと伝えられています。鳥居をくぐるとすぐに急な階段を上ります、なかなかきついですがあわてずにゆっくり上れば大丈夫。手水場から狭い場所に五つの神社が連続して建っています。順にならべますと

★「宇賀神社」、宇陀御魂神を祀る食べ物の神様で商売繁盛を祈ります。屋根瓦には葵の紋が彫ってあります。

★「大黒神社」で大国主命が祭神で、商売繁盛・福の神。

★「千歳神社」、藤原俊成を祀る。長寿・勉学の神。

★「八百富神社」、一杵島姫命を祀る。開運・縁結びと安産の神。日本七弁天の一つ「竹島弁天」が祀られていて、巳年と亥年にお開帳される。

★「八大龍神社」、豊玉・彦命を祀る。家内安全・夫婦円満・厄除けの神。雨乞いに霊験著しい神。      

  これだけもの神社が建ち並んでいる時には、お参りはどのようにするべきなのだろう? 目的の神社のみお参りすればそれで良いのだろうか。何か一つだけお参りするのは片手落ちのように思われてならない。だとすれば、すべての神社にお参りするのが作法なのだろうか?

  この後「海辺の文学記念館」に立ち寄った。ここは大正・昭和にわたり多くの文人たちに愛された料亭「常磐館」の面影を後世に伝えるために、同時代に建てられた市内の建物を模倣復元したもの。文学に疎い私には陳列された作品よりも、当時の部屋を再現した茶室が素晴らしかった。部屋の海側は鍵の手に縁側があり、緑の松越しに海が広がる様は言いようのない美しさを感じる。

 

ランチの後は

   少し移動してフアンタジー館の食事処「魚魚の里とまりん」でランチになる。事前に予約してあるので到着してすぐに食べられる状態だった。私ともう一人が「しらす丼」他の人はみな「海鮮丼」だった。これには少し意外に思ったが、それだけみなさん刺身がお好きなようだ。しらす丼はなかなかいい味でおいしかった。食事後はフアンタジー館の自由見学の予定だったが、ガイドの山田さんの配慮で無料見学させていただいた。ガイドの山田さんはなかなかの影響力をおもちのようで、さすが観光ガイドと思ったしだい。

   ここでガイドの山田さんとお別れして、今度は車で竹島水族館へ移動して、久しぶりに水族館の見学となった。驚いたのは土日でもないのに子供連れで大変な賑わいだった。入場すると直ぐにアシカショーが始まるというので見に行く。すでに広くはない場所にお客さんがいっぱいで、多くの人が立っている。私たちも人の間からのぞくような体制でステージのショーを楽しみました。たまにはこうした遊びもリフレッシュできて健康増進につながるのではと思った。それにしてもアシカは人間の指示をどのようにして理解しているのかな? 私たちはアシカの言葉はわからないのにアシカは人間の言葉がなぜ理解できるのだろう。ほかで印象的だったのはクラゲの水槽だ、ユラリユラリと動くブルーのクラゲがとても美しいのだ。なかなかうまい展示がしてある、それでこれだけのお客さんが入るのかな。

 

本堂が焼失した安楽寺

   14時30分には水族館をでて最後の目的地である安楽寺へ向かった。本堂がなくなって広場になったお寺に到着したころは雨が本降りになっていた。この寺は南北朝時代に本宿に法蔵寺を建てた上人の弟子が、応永15(1408)に安楽往生を願い創建とされる。そして、永禄6(1563)久松俊勝が上ノ郷城の城主となり、安楽寺を菩提寺と定め寺領を寄進した。浄土宗西山深草派で本尊は阿弥陀如来像、三河七福神の一つ。立派な山門は蒲郡市の指定有形文化財になっている。 乾坤院の山門よりも一回りも二回りも大きく、その規模は間口9.5m、奥行き5.36m、高さ13.75mを誇り、宝暦2年(1752)に造営され市内最大であると記されている。全体に荘厳で落ち着いた印象を与える建築は、市内の古建築として特に貴重なものと説明されている。その中で「斗栱」は禅宗様二手先とか三手先の詰め組である、と説明されているがどのようなものか分からないのが残念。

  焼失した本堂は屋根が平屋ではなく、二階建てのような造りだったのを覚えている。以前に見学したとき、なぜこの建て方になったのかお庫裡さんに聞いた。その答えはこれまた意外なもので「山門の屋根が本堂より高いものになってしまったので、縁起が悪いと後から本堂の屋根をかさ上げした」という。本堂は1630年にでき、山門は1752年にできたとあるので、その後改築されたわけだ。その時面白い話だと思っていたら、さらに話題が一つあった。話しを聞いたお庫裡さんはなんと緒川の出身だったのだ、不思議と於大に結びつくではないか!!...と思ったものだ。

  最後に本堂跡地の隣にある墓地に行き、久松俊勝の立派な宝筐印塔を見学方々お参りした。

              

 

11月2日(水)  映画製作のワークショップへ参加

  東浦町制70周年記念の映画づくりが進められています。市民映画制作のワークショップという形で行われます。ワークショップの代表は「東浦アートプロジェクト」村松さんです。司会と進行は映像作家の水谷イズル氏です。112()の夜、ワークショップが開催されました。是非とも、東浦ふるさとガイド協会の意見を聞きたいとのことで、7名のふるさとガイドが参加して、6地区の映画にふさわしい、魅力ある素材や話題を説明しました。

 

 ワークショップは体験型の講座で、だれでも参加でき、自らどんな映画にするかを企画して、映画の素材を自ら掘り出して収集し、構成し作成していく新しい映画製作の試みです。

 

水谷イズル氏は、名古屋テレビなどで映像製作を20年間つとめ、多くの名作を残された方です。独立後は、いろいろな自治体や地域の要請を受けて、地域の現実をしっかり見つめ、その未来を展望する、希望にあふれた映像のプロデュースをされています。

 

 ワークショップの参加者は若い人たちがほとんどで、映画作りに意欲満々でした。大切なことは、ワークショップの参加者が机上の論ではなく、実際に東浦を自分の足で歩き映画作りをすることです。自分の目で見て知った東浦をもとに、自分で考えた東浦の未来を映画に提唱できることを望んでいます。そのためには、ワークショップの参加者全員が、ふるさと散歩に参加されることを期待します。

 

なぜなら、現代の各地域の東浦の姿を見つめることができるからです。

 

・・・・これが参加したガイド面々の意見でした。

 

10月23日(日)  ふるさと散歩藤江

嫁入り舟に応援のエール!!

横断幕を使い応援のエール         和舟に乗り込む新郎新婦

 

 今回の参加者21名とガイド16名、それに海岸まで駆けつけてくれた5名ほどの方も含めて、対岸の嫁入り舟に応援のエールを送りました。藤江越しの渡しは、機屋さんへ働きにくるとき、乾坤院の涅槃会に来るときをはじめ、お嫁入りするときにも使われました。東浦側からも三河地区のお寺参りなどに多くの利用がありました。

 今回は渡し場まつりの主催者より、参加者に「嫁菓子」が渡され懐かしい風習にみなさん感慨深げで、私の時はどうだったなどと話が弾んでいました。

 ふるさとガイド協会は、この「藤江越し」の歴史を語り伝えていきましょうと呼びかけています。

10月1日(土) ふるさと散歩石浜29名参加

写真は「みぎ なごやみち」「ひだり よこすかみち」と昔の東浦街道道案内の藪下地蔵と、明徳寺川の国道より下流の土手に咲くヒガンバナです。

 雨が心配される空模様でしたが、29名の参加を得て秋のふるさと散歩が開催されました。今回は郷中の道しるべ「藪下地蔵」、古い言い伝えが残る帝塚から石浜の歴史が詰まっている「稲荷神社」を巡り、江戸時代に新田開発を進めた長野数馬が開いた子新田を巡りました。そこから浜新田

を通り明徳寺川の堤に出ました。そこには新田に水を供給したラバーダムがあります。石浜の新田開発が進んだのは、明徳寺川の水を思うように自由に使えたからです。その陰には緒川村との水争いが300年も続きました。そんな歴史を思い起こしながら「於大のみち」を歩きました。

 

6月28日(火) 生路・藤江のふるさと講座

 ふるさと講座の最後となる4回目が開催されました。私も「生路の歴史と文化」についてお話ししました。今回は勧められ、初めてパワーポイントを使ってお話ししました。

 中身はいつもと変わるわけではないので、話の仕方が違うわけでもないのですが、やはり、慣れていないと少しとまどいます。発表してみて、話の進め方に合わせて画面が配置されていないところもあることに気が付きました。その部分は来年と言わず、直ちに追加や修正をしました。

 藤江の発表者はさすがにうまくこなしていたと感心しました。人の良いところはどんどん吸収して、レベルアップを図りたいものです。

 

6月16日(木)  小学校の学習支援(森岡・石浜)

 今年は小学校の学習支援が、森岡小と石浜小が同じ日になってしまいました。森岡では①地蔵コース②村木砦コース③寺・神社コースに分かれて実施されました。事前に行われた現地確認に基づき希望のコースを決めたそうです。私は③寺・神社コースを担当し、次のようなことを話しました。

*おまんとは昔、馬の背中に盆栽や御幣を飾ったものを言いました。現在行われている掛馬

  をおまんと祭りと呼んでいます。

*境内に入る参道は、真ん中を歩かない。真ん中は神様が通る道だから。

*厄年の方が寄付した石段・石の柵・神馬があったり、大正天皇が即位した記念の石垣。

*三山信仰の碑がたくさん集められており、これだけあるのは日本一。

*なんで極楽寺というのか.....地獄寺はない、つまりみんな極楽浄土を望んだから。

*ぶいぶいばあの墓は初めからここにあったのか....一時は放置されていた。

*おしゃぐじさんは森岡と緒川にだけある、よく分かっていないが諏訪湖周辺が元。

*文化財は大切に守り、次世代に受け渡さなくてはいけない。

 

写真説明 左 ぶいぶいばあの墓           右 教室での様子

5月28日(土)  ふるさと散歩緒川新田

 今年のふるさと散歩は25名の参加を得て、尾張藩が海防のために作った狼煙台まで足を延ばしました。加えて、東浦町民の飲み水の水源を訪ねる4.5kmを歩きました。団地の隣では田植えも行われる道を歩き、今風の団地の姿と田んぼや緑豊かな自然に接するコースはなかなか好評でした。

 

    狼煙台跡と上水道水源をたずねてみよう!!

山神社では「三禅定碑」の説明

 町内には森岡、緒川、石浜にも三禅定の碑があります。しかし、緒川新田では三山にお参りした記念碑だけではなく、戸田万助と他の3人の貴重な記録がそろっています。それが①お金を出し合った人たちの帳面(見舞受納帳)②道中における出費や旅日記(道中覚)③結願の碑 がそろっており、とても貴重な資料です。

 

狼煙台跡と高根配水池

 田植えをしている田んぼの横を通り、団地の中へは入って高根公園に来ました。ここに狼煙台跡の説明碑があります、実際はこの上ですが入ることはできません。そこに上水道の高根配水池もありますが、木が茂っており全体を見ることはできません。東浦でここが標高の一番高い所であり、ここから各家庭へ水が送られています。

 

「異国船を打ち払え」 異国船打払令

 

18世紀末から、日本沿岸に、ロシアやイギリスなどの船がたびたび現れていました。幕府はこうした動きに危機感をもち、1825年に「異国船を発見した場合、すぐさま攻撃し追い払うように」と、各藩に命じました。

打ち払い令実施、 モリソン号事件

 

1837年、江戸湾の入口浦賀沖に、外国船が現れました。浦賀奉行所は、小舟を出して外国船であることを確認すると、警告無しに砲台から攻撃しました。外国船はそのまま湾外に去って行きました。この船がアメリカ船・モリソン号(その時はイギリス船と誤り伝えられた。)で、日本人漂流民7人を送り返すことと合わせて、通商を求めてたたことが、1年後に分かりました。

 

 

尾張藩 知多半島に狼煙台の設置

 

 1850年代、標高83mの高根山に尾張藩の狼煙台が置かれた。知多半島に於ける亀崎狼煙台と大高狼煙台の中継を目的に設置された。 師崎で異国船を発見した場合、師崎から順に大井→布土→長尾山→亀崎→緒川→大高と狼煙を揚げ、最終的に熱田→名古屋城二之丸・評定所へ報告することになっていました。
 同時に早飛脚を走らせる為、大井→矢梨→河和→布土→大足→成岩→乙川→藤江→緒川→大府→大高→熱田に早飛脚継場も置かれました。

 

5月17日(火)  松平・徳川にまつわる神社  仏閣を巡る

 5月17日午前8時20分に出かけて、岡崎の法蔵寺・山中八幡宮・西大平藩陣屋跡・六所神社・隋念寺・伊賀八幡宮・大樹寺を見学して午後4時に帰りました。西大平陣屋跡以外はいずれも松平・徳川家にまつわるものばかりで、家康が子供のころからの生い立ちに因縁の深い神社仏閣です。

法蔵寺

ここは近藤勇の首塚があることで知られています。なぜここにあるかと言うと、ここの住職が京都から法蔵寺に転任するときに持ち帰ったという....寺の記録があるという。 それと大事なことは於大が嫁いだ松平広忠の墓があります。(左写真の一番大き五輪の塔)それに、家康が惨敗した三方が原の戦いで倒れた18人の墓があります。そして、家康幼少期には手習いに通ったところといいます。

山中八幡宮

緑に包まれた106mの丘の上にあり、太古からの生き残りと言われるヒメハルゼミの生息地です。

 もっとも知られるのは家康が一向一揆のときに逃げ隠れた洞窟があります。こんな場所はすぐ見つかりそうと思いますが、鳩が飛びだしてきたので人が隠れているはずがないと探さなかったので助かった...それで、鳩ガ屈と名前が付けられています。

西大平陣屋跡

大岡越前が1万石(ほとんどの9.000石は三河にあった)の大名になってから明治まで、西大平藩の陣屋が置かれたところ。八代将軍吉宗の下で江戸町奉行として活躍、享保の改革を断行する大きな原動力となりました。

 

六所神社

天文11年(1542)12月26日竹千代君が誕生になり、産土神として拝礼があったと伝えられている。現在の本殿などは三代将軍家光が、岡崎城主の本多忠利を奉行として造営した。

本殿・拝殿・楼門などはいずれも国指定の重要文化財に指定されている。 日光東照宮にも似た荘厳な楼門は石垣の上にそそり立ち、まるでお城と見間違えるほどである。

隨念寺

家康は母於大が離縁されたため、おじいさん(清康)の妹久姫に養育を受けた。その久姫を弔うために建てたお寺。

三河浄土宗では最古のお寺。

 

 

 

伊賀八幡宮

松平家(徳川家の祖)の守護神。松平親忠が子孫繁栄と武運長久を願って建立した。

社殿・随神門・石橋は国の重要文化財。随神門は日光東照宮を思わせる荘厳なつくりである。

 家康は出陣の際に必ず祈願したという。

 大樹寺

松平家(徳川家)の菩提寺。松平八代の墓と家康の墓がある。

  桶狭間の戦いに敗れ逃げ帰った家康は、大樹寺の先祖の墓前で自害しようとする。が、住職の登誉上人にいさめられる。この時の教え「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」.....この世をけがれた世界として厭い離れ、平和な世・喜びを求めることをめざした。つまり、戦のない世の中をつくろうと決意した。

 

 

5月14日(土)     ふるさと散歩森岡

参加者78名、鎧の会10名

ガイド21名の総勢109名の大イベント!!

 

 ふるさと散歩森岡はこれまでで最も

多い78名の参加がありました。手づくり鎧の会の応援も得て、参加ガイドも含め109名の大イベントになりました。今回は受付も工夫して、テーブルを借りて地区別としました。おかげで混乱もなくスムースな運営ができたと思います。参加者は村木神社にある立山・白山・富士山をお参りした三山禅譲の碑が、日本一の規模であることにびっくり。もっと大々的に宣伝してほしいという声が多くありました。

 村木砦の戦いの後、織田軍が戦勝祝いをした場所が「飯食場」です。

今川軍を打ち破り、信長は兵士一人一人に声をかけて慰労したと言います。 また、一方で゛は大事な部下を亡くしてしまい「あいつもか、あいつもか...」と涙したと言います。実は心根の優しい信長の一面がうかがえます。

 織田・水野軍が勝利しましたが、悲しいできごとがありました。今川軍に協力させられた村人が、勝った織田信長の命令により処刑されたのです。すすんで協力したわけではなく流れの中で自然のことであったと思われます。が、それがもとで村人がいがみ合うことになってしまいます。これではいけないと、水野家では祠を建て亡くなった方の霊を弔ってきました。現在の当主が子供のころに聞いた話では、親の先代のときにはすでに行われていたと言います。.....それが「処刑場跡」です。いまも旧暦1月24日ころに、「村木砦観音会」を執り行っています。

 今回も手づくり鎧の会のみなさんが応援参加してくださいました。

ガイドより村木砦の戦について、当時の背景やその意味について説明しました。この戦でもしも織田・水野軍が負けていたら....そのように考えると日本の歴史を左右した大きな節目であったことは間違いありません。

 

5月13日(金)  「生路さん」を生路郷中を案内

 ふるさとガイドのホームページから生路のガイド申し込みがありました。それが「生路茂太」さんと言う方で、ご自分のご先祖さんのルーツを探していたとき、生路のことを知ったことで申し込みをいただきました。横浜市保土ヶ谷からわざわざご夫婦で来てくれました。生路のガイド依頼を受けたのは初めてで、嬉しいことです。

 まずは「生路の三白」をお話しして、素晴らしい歴史のある地であることをお話ししました。そして、いつものコースを案内しましたが、伊久智神社ではお札を買い求め、多賀社ではそろって手を合わせていました。原田酒造では熱心に見学してお土産に買い求めていました。どうやら父の日のプレゼセントにされたようです。また、観音寺・神後院では住職がわざわざ説明をしてくださいました。

 このあと要望があって郷土資料館へも案内しました。ここでは神社仏閣の企画展を説明しましたが、古文書の先生に「生路姓」について熱心に尋ねていました。おかげで当初予定していた倍以上の4時間30分かけて案内しました。しかし、これだけ熱心に生路のことを聞いてくれて、且調べようとしている方なので、むしろ嬉しい限りでした。

4月13日(水)  満開の八重桜と水野家の史跡を巡る

43名が参加「ふるさと散歩緒川南」

 

 東浦の春のイベントとして定着した「ふるさと散歩緒川南」 は、心配された雨もなく43名の参加を得て無事に開催することができました。

今回は知多メディアスさんが取材に駆けつけてくれました。左の写真は咲き誇る八重桜の説明シーンにカメラを回しているところです。しかし、消失してしまった乾坤院の本堂・堅雄堂・座禅堂を見て、みなさん落胆を隠せませんでした。それでも水野家ゆかりの三代の墓・緒川城跡・地蔵院など見学して、緒川藩10.000石の城下町「緒川」に想いを馳せることができました。

 

3月26日(土)  49人が参加ふるさと散歩

観音寺~安徳寺の弘法道を歩く

 

 昨年の続きで石浜のこども墓地から10番札所の観音寺へ。ここは昔村が建てたお寺さんで檀家はありません。今は常照寺さんが管理しています。はからずも住職がおいでになりお話しを聞くことができました。そこからは生路の郷中を通る「弘法道」を歩きました。丁石を確認しながら、また道沿いに門柱だけが残る生路の学校跡や、日本で初めて「白砂糖」を作り、将軍家に献上した原田喜左衛門のお墓のある神後院や、長生きの神様「多賀社」もお参りしました。江戸時代中ごろに90歳以上の長生きが5人もいた記録が残っています。そして、生路のコミセンまえには弘法宿「ちかすえ」が営業していました。 

 10丁目石~8丁目石に進むと右手高台に、昔の丸彦紡績さんの別荘が見えます。当時の別荘という言葉は耳新しいものでした。8丁目石付近の高台から見た昭和29年頃の写真が残っており、煙突とノコギリ屋根の工場ばかりがびっしり並んでいました。

 5丁目石から藤江に入ります、そのすぐ先の4丁目石の隣に立派な二階建ての家があります。弘法宿「丸登屋」さんで今も営業しています。ちょうど奥さんが外にいて中を見学させてもらうことができました。入口には大家石の門柱の上に「丸登屋」の案内灯があります。昔風の四八の総二階建てで、前には4尺の縁側があり裏にも廊下がある作りといいます。東浦唯一の和風旅館として永く活躍してほしいものです。

 このあと安楽寺まで行き、それぞれお参りをして今回のふるさと散歩を終えました。無事に案内できたこと、丸登屋さんの見学ができたこと、それに49人もの方が参加してくれうれしい限りです。

12月5日(土)       39人参加「ふるさと散歩緒川北」

国指定史跡と4ケ寺を巡る


 今年最後になるふるさと散歩緒川北は、39名の方が参加して緒川の郷中を巡りました。塚本源左衛門の屋敷跡、宿場ではないのに本陣があった沢田家をようした緒川には、城下町であった名残が今も残っています。

 永い間緒川の中心であった現在のコミセンが、塚本源左衛門の屋敷跡で、役場・農協・小学校が置かれていました。江戸時代のメインストリートであった東浦街道、道路元票、浦高札のあった「札木の辻」から、善導寺、越境寺、東光寺、了願寺を巡って最後に国指定史跡の入海神社を回りました。

11月28日(金)  43人が参加した「ふるさと散歩生路」

 東浦唯一の酒蔵を見学して、機屋の跡を巡る

 生路地区のふるさと散歩では最も多い43名の方が参加し、東浦の一時代を支えた繊維工場の跡を見て回りました。町は多いときには5.700人余の人々が繊維工場で働いていました。それが、今ではゼロです。その工場の多かった生路がどのように変貌を遂げたかを知ることは興味深いです。そのほとんどが真新しい家々が建ち並ぶ住宅街に、あるいはマンションが建っています。また、ゴルフ練習所や病院もできましたが、まだノコギリ屋根の工場が倉庫として使われているところもあります。廃屋として放置されている所もあります。

 このように機屋跡の地区が生まれ変わりつつあります。 一方、原田酒造は町内でたった一軒残った酒屋です。新酒の仕込みが行われていて、126日の蔵開きを目指して準備をしていました。60名余が大挙して押しかけたのにもかかわらず、快く引き受け熱心に説明してくださり、感謝する次第です。


11月17日(火)  秋の研修会を開催

「二重の掘りはお城のような本證寺」

今回の研修旅行の一番の目玉は「三河一向一揆」に関わる3つの寺の見学でした。下に掲げる図は一向一揆の拠点となった本証寺の復元図です。本証寺は民衆史研究者、城郭研究者に注目され、研究の的になっている寺です。今年27年3月に文化財の国指定を受けたと聞きます。たぶん全国でも、二重の堀に囲まれた堅固な城のような寺はここしかないでしょう。民衆と地侍と「坊主」はここに立て籠もって戦いました。

 また、戦い相手の徳川家康は1560年桶狭間の戦いの後、今川の束縛から解放されました。そして、本格的な領国支配に乗り出すための、軍事費・兵糧米調達をしようとしての一揆の始まりです。制覇した、家康にとっては領国支配の完成となる出来事でした。


10月25日(日)  ふるさと散歩藤江

弘法さんの道引石を見て、花嫁舟にエール

 34名の参加を得て、今回初めて三角屋の交差点にある道標(案内石)を訪ねました。藤江の弘法寺十一番の安徳寺を参拝した後、十二番ではなく五十四番亀崎の海潮院を参拝して、またここに戻り十二番有脇の福住寺へ向かうことが記されています。

   三角屋の交差点                              道引石

 花嫁舟にエール 

当日は一時的な冬型の気圧配置になり、木枯らし一番が吹き荒れました。そのため波が高く乗船が危ぶまれましたが、舟に乗っての記念撮影は行われました。対岸の私たちはノボリバタを振って、ハンドマイクで「東浦ふるさとガイドです、おめでとう頑張って!!」 と声援を送りました

 ふるさと散歩の目玉となっている「渡し場まつり」 に対岸から参加できて、参加者は嬉しそうでした。 

   舟に乗りこむところと、記念撮影に収まる場面 


9月11日(金)  タイムカプセルの説明

 緒川小学校2年生の子供たち11名と付添の方1名に、緒川城跡でいろいろなお話しをしました。場所柄から水野氏や於大のことを話そうと思っていましたが、事前に受け取った質問にはタイムカプセルのことばかりでした。そこで、資料館からタイムカプセルの模型を借りてきて、子供たちにいろいろ問いかけながら、説明しました。なぜこの場所に埋めたのか、何を埋めたのか、なぜ70年後に開けるのか.....etc。話を進めたメンバーの担当者は、何を埋めたのか子供たちに問いかけながら、そして、その品物とかその時代のことを年長の会員に話してもらうなど、たくみに話をすすめました。子供たちはそれぞれメモしていました、最後におだいちゃんグッズのファイルを子供たちに進呈しました。


9月2日(水)       NHKラジオ「旅ラジ」に出演

 90ちゃん号で親しまれているNHKラジオ「旅ラジ」が、於大公園のこのはな館前から全国放送されました。ふるさとガイド協会は、手づくり鎧の会、ぶどう組合、オマント保存会とともに出演。活動の内容や徳川家康の母「於大」のこと、水野信元が織田信長とともに戦った「村木砦の戦い」について説明しました。

 ガイド協会は「村木砦古戦場跡」のノボリバタを持参して、雰囲気の盛り上げに努めました。鎧の会は陣羽織姿の人が数名参加するなど、会場には100名ほどの方が集まりました。

 後日の話ではさすが全国放送で、水野勝成が赴いた福山から観光協会に電話があったそうです。

8月22日(土)     卯の里小学校先生の

                 ふるさと散歩緒川新田

822()炎天下のもと、卯の里小学校の先生方を対象に緖川新田地区のふるさと散歩を実施しました。ことの発端は、新田地区のふるさと散歩の日が運動会とかち合って、小学校職員が参加できませんでした。そこで、夏期休業中の研修として卯ノ里小版のふるさと散歩をやって欲しい、との近藤校長の要請でした。同校は、午前中が草刈りなどの校内整備の作業で、午後はこの研修となりました。職員すべての参加で、疲れを見せない真剣そのものの取り組みに、われわれガイドも説明に一段と熱が入りました。このような職員のもとで、きっと、郷土に誇りをもつ子が育っていくことでしょう。写真は山神社にある「三禅定碑」


7月28日(火)  福祉センターのお年寄りにお話し

 午後1時30分からおよそ1時間、18名のお年寄りに①於大の道の八重桜について、600本ある種類や色について ②「だんつく」の踊りについて、関連する加賀の獅子舞 ③涅槃図における御釈迦さんの一生 について、今回はスライドを使い説明しました。スライドで説明するのは初めてであり、みなさん関心をしめしてくれました。後日の反省会では福祉センターの方の意見も聞いて、身近にあるネタ

をうまくとりあげようとまとめました。

5月30日(土)  第三回ふるさと散歩

         「戸田万助と三山巡礼の足跡が残る卯の花の里」

 ふるさと散歩緒川新田は41名の参加を得て開催しました。気温30度を超える暑さとなりましたが、できるだけ日陰で説明するなどして無事に案内することができました。コースはJA・山神社---万栄教会---唐治屋敷の常夜灯---八巻古窯---北添え墓地---釜池・丸山---JA・山神社と回りました。

 今回は特に三山巡礼について、タイトルにも用いるなどしてアピールしました。

東浦では森岡の村木神社に、25基の三山信仰の碑がありますが、ここ緒川新田においては、戸田万助家に見舞金を記した見舞受納帳・道中の出費などを記した道中覚えが残され、山神社に結願の碑が建てられているのです。見舞受納帳には緒川新田のみならず、緒川村、村木村、佐布里村からも参加しており、村を越えて信仰のつながりが見られ興味深いです。

   左は唐治屋敷の常夜灯         右は八巻古窯(後ろの林)


5月16日  第二回ふるさと散歩「村木砦の戦い跡を巡る」

 最近になりテレビや雑誌にも取り上げられるようになった「村木砦の戦い」。今回はこの戦いの跡を巡り、水野信元の要請で駆けつけ今川軍を打ち破った織田信長とのかかわりを偲びました。村木神社では、手づくり鎧の会のみなさんが鉄砲を持って甲冑姿で登場。当時の戦いをほうふつとさせ、戦の雰囲気を盛り上げてくれました。

 出がけは小雨がぱらつくも、暑さも和らぎちょうどよい具合でした。30名の参加を得て、信長が本陣を置いた「村木神社」、織田信光が陣を置いた「後ろ狭間」、「処刑場跡」、「村木砦跡」などを案内しました。さらに、村木神社には日本でも最多の三山禅定の碑を、そして、東浦唯一の古墳「金鶏山古墳」とあまり知られていないけれどすばらしい歴史を伝える文化財を案内しました。参加されたみなさんからは、「東浦にこうしたものがあるとは知らなかった」「参加して良かった」という声が多く聞かれました。

 

 

4月15日  第一回ふるさと散歩「水野氏史跡と満開の八重桜」

 今年度最初のふるさと散歩は、八重桜の咲き誇る於大の道を歩き、乾坤院の堅雄堂・四代の墓・三代の墓から緒川城跡、地蔵院と周るコースに52名の参加を得て開催しました。受付の時には「おだいちゃん」もかけつけて、盛り上げに一役かってくれました。

 文化センターをスタートすると、満開のショウゲツ・カンザン・フゲンゾウが出迎えてくれました。特にフゲンゾウの名前の由来を聞き、みなさん興味津津で花をのぞきこんでいました。八重桜の咲き誇る時期に開催でき、ネライ通りの企画となり嬉しい限りでした。その後、少し雨がぱらつくこともありましたが、無事に案内することができました。

 

3月15日  乾坤院の涅槃会

 3月15日午前10時前から午後2時の間、乾坤院の涅槃会で案内をしました。ガイドは①山門前で於大姫だよりと堅雄堂のビラを配布②本堂内で涅槃図の説明③堅雄堂・四代の墓の説明をしました

 午前中は穏やかな陽気でしたが、午後は曇りがちになり人出も減って訪れた善男善女は年々減少傾向にあり、少し寂しい気がします。それでもビラは300枚配布、涅槃図の説明は70名に、堅雄堂と四代の墓では150

名程の方に説明しました。 ガイドは午前9名、午後8名が担当しました。


3月14日  村木砦観音会執り行われる

  信長の命により処刑された村人の霊を弔う

 

 3月14日午前10時より、森岡の水野利克さん宅において村木砦観音会の法要が執り行われました。1554年に織田・水野軍は信長が初めて鉄砲を使うなどして、村木砦の今川軍を打ち破りました。

 この時の戦において、今川の命に従い協力した村人が、信長の命で処刑されました。水野家ではこの村人の処刑された場所に碑を建て、霊を弔ってこられました。今のご主人が子供のころから行われていたことを覚えているそうです。このことをお聞きして以来、ふるさとガイド協会ではお参りに参加しており、きょうは9名が参加しました。

 法要のあとその足で、戦で命を落とした両軍の兵士を祀る八剣神社にもお参りをしました。村木砦の戦を広く知ってもらう意味から、今後も地域の皆さんに、このことを伝える努力をしていきたいと考えています。


写真左から処刑場跡で法要    八剣神社         村木砦跡のノボリバタと電車


3月2日  わいわいサロンでお話し

 10時から1時間ほど緒川の老人憩いの家で、お年寄り22人世話役の方8人に緒川の昔についてお話ししました。今回は最初に会員によるウクレレ演奏を行いました。曲はサザエさん・いい湯だな・ふるさとなどを披露し、みなさん一緒に口ずさみ、楽しんでくれました。そのあと、入海神社の言われ・乾坤院と於大のこと、さらに、善導寺、越境寺はどんなお寺さんなのかお話ししました。

2月14日 常滑市ボランティア協議会17名の皆さんをガイド

 2月14日午前10時~11時20分にかけて、上記のみなさん17名を塚本源ザ衛門邸跡・入海神社・了願寺・越境寺・善導寺と3グループに分けて案内しました。越境寺のキリシタン灯篭や善導寺の一字一石経の小石には、みなさんのぞきこんで興味津津。

 11時30分~の交流会では、ふるさとガイドは①一般のガイド②小中学校の子供たちにお話し③福祉施設のお年寄りにお話している活動をPRしました。そして、私たちが勉強し製本した東浦の歴史と文化、百景についても案内したところ、みなさんから声がかかり持参した3セットは完売。さらに希望者があり、後ほど資料館にわざわざ来てもらい5セットと、百景をさらに2冊購入していただきました。これを機に常滑市との連携が進むことを期待したいものです。ガイドは9人が出席し案内しました。

(写真はボランティアセンターでのあいさつ、入海神社、越境寺のキリシタン灯篭)


1月18日 文化財消防訓練に参加

 1月18日午前9時30分~11時にかけて、文化財消防訓練が乾坤院で行われ、ふるさとガイドは13名が参加しました。この訓練は昭和24126日に法隆寺金堂の壁画が消失したことを戒めとして、昭和30年からこの日を「文化財防火デー」と定めたことによるものです。

 訓練内容としては、お寺の文化財を運び出すことに始まります。ふるさとガイドは文化財の運び出しを担当し、運び出しを終えると消防が一斉に放水をします。その後、参加者が二班に分かれて消火栓の扱いと、消火器を使って実際に火を消す訓練が行われました。

 最後に町長は冒頭のネ ライについて説明してから、万が一火災が発生した時に備え、常日頃の訓練が大切であることを話されました。


11月21日  西部中学校カルチャー講座


 21日午後1時30分より西部中のカルチャー講座に参加して、東浦の歴史についてお話をしました。「すばらしいふるさと東浦」と題して、戦国時代の東浦、300年続いた水争い、日本一の生路の三白、緒川新田の成り立ちについてお話をしました。

 話しが終り質問はないか問いかけをしましたが、元気のいい生徒はおりませんでした。それでも、提出してもらった感想文には「東浦にこんな歴史があったのに驚いた・三白が日本一とはびっくり」と、みな書かれていました。

先生・PTA役員の方もいましたので、お話した内容は「東浦の歴史と文化」の冊子で改めて見てもらうことができる旨付け加えました。

11月15日  生路の機屋さん跡を巡る

 

 15日ふるさと散歩生路は、26名の参加を得て催行しました。今回は三白の塩と伊久智神社、白砂糖の原田喜左衛門の墓と白木綿の機屋さんの跡地をぐるりと回って、今日の生路を形成している住宅街をじっくり見てもらいました。

 最近の発展は機屋さんが集中していた鉄道より海側に集中し、そのために四か所ある狭い踏切が、住宅街と生活に切り離せないスーパー・保育園・学校・銀行・病院などとの行ききのさまたげとなっています。そして、歩いて回ったことで機屋さんがいかに多かったか、実感していただけたものと思います。

 途中では、伊勢湾台風により土台のみになった家の跡もあり、さらに住宅街外れの機屋さんの建物では人の背丈より高いところまで浸水したことに、みなさん驚いていました。

原田酒造さんの見学も含め少し時間をオーバーしましたが、これは神後院さんで住職さんがお寺の本尊様を見せてくださったり、パーワースポットの説明などしてくれたこともあり、少し予定をすぎてしまいました。

 

11月8日~9日  ふるさとクイズに660人


 二日間開かれた産業まつり、今年も二日目は雨に降られてしまいました。それでもふるさとガイド協会は、ふるさとクイズ・東浦百景の掲示に加えて、新たに昔の姿が今はこのように変わったことが分かるように、新旧の写真を並べて見てもらいました。年配の方は懐かしい風景に、若い方はその変化した今日を熱心に見比べていました。

 目玉として続けているふるさとクイズも、昨年同様にたくさんの方が参加してくださいました。子供たちはもちろん、多くの方が東浦の歴史や文化の一端に触れることで、ふるさと東浦を見直してくれたものと思います。初日は400人、二日目は雨降りになりましたが準備した用紙はすべてなくなり260人の合計660人が参加してくれました。ほかにはガイド協会の出版した「東浦百景」「東浦の歴史と文化」も合わせて13冊購入していただきました。しかし、昨年の30冊から半減しており、より多くの方に購入してもらうことは難しい...と感じさせられました。

 会場にはメディアスさんが取材にきていました。(いちばん右の写真)

10月26日  花嫁舟に応援エール

 

 ふるさと散歩藤江は午後1時にスタートして、小田校長先生の像・白雪稲荷と案内しました。その時小雨がぱらつきちょっと心配に、でもその後はお天気も回復し晴れ間も出て汗ばむほどでした。

今回の参加者には藤江の小田町会議員、それに議員から声をかけられた方もおりました。議員の方が地元のふるさと散歩に参加してくださることは、大いに歓迎するところです。

 また、肝心の花嫁舟の応援エールは、少し早目に海岸に到着しました。対岸の会場からのアナウンスも良く聞こえ、こちらの事も案内してくれているのが良く分かりました。「語りつたえよう 藤江の渡し」の横断幕をみんなで持ち、対岸のアナウンスに合わせて旗を振り、声援を送って花嫁、花婿さんの前途を祝しました。見にくかったものの向こう岸からも、青い旗が振られているのが分かりました。

 しかし、なぜか引き上げるタイミングが少し早くて、舟の上で三三九度の杯を交わす時に帰りかけており、あわてて再度声援を送りました。少しとちったことも含め、すべてきょうの思い出として残ることでしょう。

 

10月24日  森岡小学校の地域学習支援

 

 24日午前9:009:45、森岡小学校3年生の子供たちを三つのグループに分けて、下記のテーマでお話をしました。

Aグループ19人------村木神社について(歴史・おまんと・三山信仰)

Bグループ36人------村木砦の戦い・織田信長について

Cグループ19人------ぶいぶい婆の墓・六地蔵について

 ガイドはグループごとに二人、三人、四人でそれぞれ担当しました。お話だけではいけないので写真等も使い見える化を、中でもBグループでは豊明ガイドの応援を受けて、紙芝居で信長の桶狭間の戦を説明して好評でした。お話するだけでなく子供たちに問いかけもして、分かりやすい話しに努めました。その結果私の担当したグループでは、順番待ちになるほど子供たちからたくさんの質問がありました。このことから、今回のお話はまずまず成功したのではないかと思います。

下の写真は各グループごとの様子です。

 

10月10日 句会のみなさん13人を案内

 

 本日のお客様は知多市の市民大学講座の主催する、俳句の会のメンバー13人で、2グループに別れてガイドしました。10月になってもまだまだ陽射しの強い中で、ガイドのみなさんは背中にじっとり汗をかいていました。

 今日は「花」をテーマに句を作る、という課題を持って史跡巡りということで、中にはグループを離れて初秋のバラや、色とりどりの手入れの行き届いた花壇を見入る方もお見えでした。午前10時10分から11時30分まで、「乾坤院総門・山門・本堂・堅雄堂・水野氏4代の墓」と、「水野氏3代の墓」をゆっくりガイドしました。

  第一グループは「3代の墓」まで回りましたが第二グループは時間の都合もあって乾坤院と於大公園までとなりました。

 

10月8日 あいち間税会の51名を案内

 

 10月8日9時30分より、間税会51名のみなさんを40分ほどで乾坤院の案内をしました。乾坤院の生い立ち・名前の由来から、水野忠善がご先祖に感謝して建立した「堅雄堂」、水野家四代の墓を案内しました。さらに東浦と言えば、水野家と乾坤院がまず挙げられることや、水野家の娘「於大」が家康を生んだことで、東浦がクローズアップされていることをお話しました。案内後、みなさんは住職の法話を聞くことになっていました。そこで、私たちも一緒にお聞きすることはできないか、お願いしたところ快く承諾していただけました。

法話の内容は乾坤院の歴史と釈迦の教えについてでした。釈迦の教えについては部分的にしか分かりませんでしたが、あとで整理してみると次のようなことが理解できました。

 

 

法話を聞くみなさん
法話を聞くみなさん

お釈迦さんの教えは要約すると「利他・自利・解脱」につきるという。

① 利他   ・布施---もらってもありがとうとは言

                     わない

            ・持戒---ルールを守る

② 自利   ・忍辱---耐える

            ・精進---一生懸命

③ 解脱   ・禅譲---心が揺るがない・静

            ・知恵---

  ふうむふうむ、で-------

 

 

 

 

10月4日 ふるさと散歩緒川新田

       伊藤衆議院議員も飛び入り参加!!

 

 心地よい風が吹き抜ける季節になり、緒川新田地区のふるさと散歩は地元行事もある中22名の方が参加してくださいました。地区担当の方がいろいろPRしていただいたことで、新田区長さん、卯の里小学校の校長先生も参加してくださいました。加えて、途中からは伊藤衆議院議員が顔をだしてくださり、唐治屋敷の常夜灯・村で建てた図書館のことに興味津津。おかげできょうは「ふるさと創生事業の一つに参加できました」と、笑顔で話しておられました。きっと秋の行事が多い季節なので地元回りにこられたのでしょう。

 

 テレビで国会審議の模様を見ていた人が声をかけると、伊藤議員は昨日委員会審議で、7時間座りっぱなしで大変だったとか。また、会員の西尾議員も顔を出してくれました。行政に携わる面々が、私たちのふるさと散歩に、多く出席してもらうことも大きな意義があるものと思います。会員は14名が出席しました。

  3枚の写真は雁狭間・万栄教会・八巻古窯で説明しているところ。

  下段の写真は唐治屋敷常夜灯横で伊藤議員と一緒に

 

9月13日  県モニターツアーの35名を案内

 

 すばらしい秋晴れの下35名のお客さんを案内しました。11:10村木神社に降り立ったお客さんが、初めに関心を示したのはどんぐりでした。聞けば名古屋の街やその近辺の方が多く、田舎の四季に触れたことが新鮮だったようです。

 村木神社では3グループに分けて、10分で説明するのはきつかったです。時間

係りの合図で進行を進め、ほぼ予定どおり村木神社へ歩いて移動。ここで少しグ

ープごとに時間差がでてしまいましたが、砦跡での説明をスムースに進めてくれましたので、鎧の会へうまくバトンタッチできました。鎧姿の3人の武者と鉄砲にみなさん興味津津、作るのにどれくらい時間を要するのかなど質問も出ていました。鎧の会のみなさんが今回のツアーに花を添えてくれました。また、観光協会も事務局の方がでてくれて、町のパンフレットを配布してくれたり、このあとから立ち寄った役場では、休日のため正面玄関が閉じているため、トイレの使用がしやすいようにと、玄関横の通用口をあけてくださいました。

  午後は乾坤院を20分で案内、四代の墓ではりっぱで大きいのにびっくり。バスで役場まで移動して緒川城跡へ案内。ここでは於大生誕の碑と、城跡など案内して役場へ戻り、予定した時間どおり全日程を終えました。見送りの際にはみなさんから、ありがとうございましたと言う言葉をちょうだいしました。

 

8月9日  傾いた「丁石」の整備

 

生路の観音寺~藤江の安徳寺の間にある、五丁目の丁石が大きく傾いていました。その結果、お店屋さんの排気ダクトの下になってしまい、黒く汚れていました。勝手に移動したりしてはいけないので、藤江区事務所に相談するとお店に話をして了解をとってくれました。台風前の雨が少し降っていましたが、ガイド会員5名が出て石柱を少し移動させて、洗剤で洗い汚れを落としました。少し文字が見やすくなりました、これならここから安徳寺までの距離が5丁(545m)であることが分かります。

傾いてしまった丁石   汚れを落とす    立て直しました

 

6月12日  片葩小の子供たちにお話し

 

 心配された雨は遠のき、良いお天気に恵まれました。今回は稲荷神社と明徳寺川の二か所で子供たちの疑問に答えるお話しをしました。子供たちはこの二か所以外にもケーキ屋さん、マルスなど6グループに分かれて石浜を探検して、社会勉強をしたそうです。

 

①稲荷神社で16名の子供たち(先生・保護者の4名)にお話し

 事前にいただい子供たちの疑問に、境内を巡りわかりやすく説明しました。そして、神社で

 のお参りの作法も説明して、子供たちにもお参りしてもらいました。子供たちの疑問のおも

 なものを紹介しますと.....

*手を洗う所はなぜ龍なのか     *狛犬は犬なのか、なぜあるのか

*馬の像はなぜあるのか       *お参りの時になぜ鈴を鳴らすのか

*建物はいくつあるのか       *神社はいつできたのか

②明徳寺川で12名の子供たち(先生・保護者3名)にお話し

 明徳寺川出会い広場のベンチに腰をおろして、野外授業が始まりました。子供たちはガイド

 のおじさんやおばさんが説明することを熱心にメモをとっていました。子供たちの疑問は次

 のようなものです.....

*明徳寺と明徳寺川のどちらが先に名前が付けられたのか

*桜の木は何本あるのか           *なぜ桜の木を植えたのか

 どなん種類の桜があるのか          *鯉は何匹いますか

*明徳寺川はどこからどこまで続くのか    *なんで坊主橋というのか

*どうして川を挟んで道を作ったのか     *地面には何と書いてあるのか

5月31日  41名が参加したふるさと散歩石浜

 

 良いお天気を通り過ぎて暑い一日となった今日は、41名の方がが参加してくれました。中でも町外の人は5名、それに今回は県会議員の河合さんも参加してくれました。さらに、視覚障害の方もボランティアの方とともに参加してくれました、地元を知る、地域を知る活動が広く受け入れられてきたことは喜ばしいことです。ガイドは15名が出席して5グループに分けて案内しましたが、さらに研さんを積み喜ばれるガイドに努めたいと思います。

5月13日  ふるさとガイド研修会

 

 ガイド研修で大草城跡・地蔵寺、大野城跡・斎年寺など大野の街を散策しました。昼食後はその足で寺本城跡、佐布里城跡を訪ねました。

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5月17日  ふるさと散歩森岡

 

 素晴らしいお天気のもと46名の方が参加してくれました。中でも大府の方は会長の坂野さんをはじめ7名の方が参加してくれました。ほかにも町外の方は名古屋、刈谷、西尾から1名ずつ参加があり、とてもありがたいことです。今回は緒川のふるさと散歩に引き続き、手づくり鎧の会の皆さんが村木砦跡で応援してくださり、場を盛り上げてくれました。加えて、今回はメディアスの取材が実現しました。鎧の会のみなさんに応援してもらったときに、取材が実現したことは良かったです。

 ちなみに放送予定は21日の17:00、20:00、22:00,22日の18:00、19:00、20:00です。また、日時は不明ですがインターネットでも見られるはずです。ガイド会員も18名が出席して5グループに分けて案内しました。

5月16日  刈谷市ボランティアセンターの皆さんを案内

 

 午後3時から1時間30分ほど、41名のみなさんを乾坤院・四代の墓・三代の墓・於大公園、そして緒川城跡を案内しました。帰ってから事務局の方に聞きますと、「分かりやすい説明だった」「気軽に質問できる雰囲気が良かった」「刈谷と東浦のつながりがよくわかった」など、とても好意的な声を聞くことができて安堵しました。

 お互いに隣同士であっても、隣の町については分からないことが多いものです。これからも分かりやすいガイドに努めたいと思います。今回は会員9名で対応しました。

 

 

 

 

 

 

4月19日(土)  於大まつりに出展し、史跡ガイド

 19日於大まつりのお天気は、前日の雨模様から回復しておだやかな日となった。私たちふるさとガイド協会は、乾坤院の四代の墓・三代の墓・緒川城跡と地蔵院で大勢の皆さんにガイドをしました。会員も地区役員・神社の役員・JAの役員などをしている人も多く、4か所の午前午後担当するガイドの確保は大変でした。それでもみなさんのがんばりで午前9時から午後3時までのガイドを行うことができました。実際にガイドした人の数は全体で約740名に、ビラはそれよりたくさんの人に手渡ししました。町外の人が多く来ており、東浦の良さをしっかり案内することができたものと思います。

 また、公園内のテントで東浦百景・東浦の歴史と文化・お大姫ストラップの販売を行いました。本は17冊、ストラップは25個お買い上げいただきました。それに、まつりの来賓としてこられた水野忠政公から数えて20代目に当たる「下総結城水野家当主水野勝之氏」が、町長と一緒に立ち寄ってくださいました。わざわざお越しいただいたことに感謝し、当協会発行の東浦百景・東浦の歴史と文化と村木砦の戦を進呈しました。水野家当主の方はこの本と、今の東浦を見てどのような思いを持たれたのでしょう!!

 

2月23日(日)  村木観音会執り行われる

 2月23日10時より森岡の水野家において、村木観音会が執り行われました。私たちふるさとガイドも伴会長はじめ14名が参列してお参りしました。 住職の読経のあと一人一人が、遠い昔の戦に思いをはせながら処刑された御霊のやすかれと手を合わせました。村木砦の戦で織田・水野軍が勝利しましたが、戦の際に今川方に味方した村人が、信長の命令で処刑されました。この村人が処刑されたのが処刑場跡で、今も村人の供養が個人の努力で続けられています。

 水野家の親戚にあたる杉浦順二さんによれば、水野家では当主が高齢になられたことから、親からバトンを受けて息子の利人さんが供養を続けることを決められたそうです。供養を続けていくことは大変なことであり、感謝したいと思います。参列者は私たちのほかに、いつもふるさと散歩に参加してくださる碧南の方や、ほかにも3名の方がお参りに来てくださいました。

 私たちはその足で、戦で亡くなった兵士を祀る八剣神社まで行き、あわせてお参りをしました。砦跡では宅地の造成工事が始められており、ここにも開発の波が押し寄せていました。東浦にとって村木砦跡は大切な史跡であり、最大限の保存が望まれます。

 

2014年

1月14日  取材を受ける

 東浦町が街のPRのためにメディアスや、インターネットを使って配信する「東うらやまシティー」の取材を14日午前に受けました。「東うらやまシティー」のアドレスは下記。

 今回の取材は、東浦の怪力にまつわる民話についてお聞かせください、というものでした。

具体的には要請のあった24人力士、百百力童、二俵右衛門の話と、ふるさと散歩のコースにある生路井、帝塚、プイプイばあの墓など民話についてお話しました。

http://www.town.aichi-higashiura.lg.jp/15shoko/higaura/index.html

 これは東浦町の「うらやましい!!」と、思われるような話題を提供するバラエティー番組です。東浦の観光、グルメ、町民の取り組み、街の魅力発見まで幅広く網羅しています。

 



2013年

11月23日  小春日和に恵まれた「ふるさと散歩生路」

   23日は小春日和のすばらしいお天気に恵まれました。生路コミセンを925分出発して27名の方を天満宮から順次案内しました。伊久智神社が塩の神様をお祭りしていること、安産の神様をお祭りしていることに、みなさん驚かれていました。そして、弘法道の案内である丁石にも関心をしめしていました。入り組んだ狭い道、黒い板塀・古い蔵にも興味を持たれた様子、さらに、原田喜左衛門が白砂糖を初めて作ったこと、機屋全盛の生路には東海銀行が20年間存在したことなど、生路の三白については、いずれも日本一だったと言う説明にみなさん驚かれていました。

  そして、原田酒造さんの見学ではみなさん熱心に耳を傾け、もろみの大きな樽を覗き込んでいました。そのあと、原田酒造さんの駐車場に回り、大きな陶磁器で作られたカメを見ました。これは昭和の初めまでお酒を入れていたと言います。しかし、大型の物が作れないことから使われなくなったと言うことです。

 今回はできたばかりの「東浦の歴史と文化」をみなさんに紹介しましたところ、持参した7冊を完売しました。今後のふるさと散歩でおおいに販売努力をしていきます。

 

下の写真は原田酒造さんの内部と駐車場にあるカメ

 

11月20日  江南市ガイドのみなさんを案内

 20日午前950分~午後230分、江南市歴史ガイドの会13名を案内しました。

午前に郷土資料館・乾坤院・三代の墓・緒川城跡・地蔵院を、午後に森岡の処刑場跡・臨江寺跡・村木砦跡を案内しました。

 おりしも郷土資料館では秋の企画展「東浦の神社展」が行われており、伊久智神社の御湯立釜が正面入り口に置かれています。江戸時代~明治2年まで使われたことや正月と5月、それに9月にこの神事は行われ、ゆえに「正五九」という言葉があることなど説明しました。他には山神社の参拝記念碑、入海神社の弟橘媛命歌碑、伊久智神社の見取り図、各神社の棟札など案内しました。

 乾坤院四代の墓では、忠善のご先祖を敬う気持ちと立派なお墓を造ったことに、みなさん感心していました。緒川城跡では、土塁を少しでも残したことにすばらしいことだ、東浦の歴史がここまでとは知らなかった、と異口同音に話されました。地蔵院の見学後には、隣の大黒屋さんに立ち寄り、たくさんの東浦土産を買ってくれました。

 魚伊さんで昼食後に森岡へ向かい、処刑場跡・臨江寺跡から村木砦跡を案内しました。村木砦跡では信長が初めて鉄砲を使ったことを説明し、会員である豊明の三代さんたちが、甲冑姿で鉄砲の扱い方を披露しました。

11月15日  西部中カルチャー講座に参加

 私たちふるさとガイド協会は、ふるさとの歴史や文化を広く知ってもらうため、これまでも森岡小の地域学習のお手伝いを3年続けてきました。しかし、歴史や文化について理解力のついた中学生に話をする機会を模索してきました。今回、西部中のカルチャー講座に初めて参加させていただき、それが実現しました。

 「こんなにすばらしい、ふるさと東浦」と題して、①戦国時代の東浦 ②300年続いた明徳寺川の水争い ③生路の三白 ④緒川新田の成り立ち について、1時間30分の時間の中でスライドを使ったり、地図を使いながらお話しをしました。

 終わった後で感想文を書いてもらいましたが、織田信長が来て鉄砲を使った戦があったこと、緒川と石浜で300年も水争いがあったこと、生路の三白(生道塩・白砂糖・白木綿)が日本一と言えること、自分の住む緒川新田の歴史について多くのことを知った。これらをみんなに話していきたいと書かれていました。

 限られた時間の中で、初めての試みはまずまずの結果で終えることができほっとしました。